父は、
長男に生まれて
義理堅い、
実直そのものの人であった。
その母親は、
今の泉大津市の
豊中の辻川氏から嫁いで来たが、
父一人を生んで亡くなった。
その後に嫁いで来たのは、
私が良く行って工場を見た、
現在は堺市となっている
八田壮の「堀上」という在所からの
森内家の娘さんであった。
この森内家は
瓦を製造していたので、
祖母に連れられて
よくその家へ行っては、
女のくせに工場へ入り込んだ。
「土練機(どれんき)」という
土こね機械の大きな動きが面白くて、
見に行ったものだった。
そこへ行くには
小さな峠を越える。
そこだけが淋しい
山の中を抜けねばならない。
だから
祖母が里帰りの時は
よく私を道連れにして行った。
姉は小学校に上がっている。
私はまだ小さかった。
なのに道連れにされた。