最近小6の女の子が悲しい事件を起こしました。日本中の親たちは一斉に心を痛めることなり、学校という最も安全なところでおきた事柄は大きなショックで、すべての人々を身震いさせる事件でありました。
何故このような事件が起きたのか、深く思い煩う人々の間からどのような解答があるものか?何故何故このような些細な事柄からかくも大切な一人の命が奪われるとは、一体今の世はどのような変化をきたしたものなるや・・・と、これほどすべての人々を大きく悩ませたこの事件は解決のつかないものを抱えています。
数年前、障害者の日の標語の募集に、全国の中学生の作品の中から「誰も私に気付かない・・・」というのが最優秀として総理大臣賞になりました。その中学生は、大阪府和泉市の横山中学校の生徒でした。地元さをりの森のすぐ近くであります。
やがてその町から講演を頼まれて出かけることがありました。その中学には「心を持たぬは人でない」という標語が掲げられていました。私はさすがに、素晴らしい学校だと感動しました。お集まりの方々に質問をしました。
「あなたは今、何が最も気になりますか?」と。即、返ってきた言葉は「人に無視されることが一番つらい」ということでした。次々とみんなから同意の声が上がりました。
「それならば、誰もができないことをおやリになれば!」と答えた私に「それができれば嬉しいが、誰にもできないことなんてむずかしいです。」とおっしゃいました。「いえいえそれは簡単よ!」と説明させてもらいました。やがてその町にはさをりが広がりました。ぐんぐん成長していきました。
なぜか私は、さきの小6の女の子と重ねて考えずにはおれません。片や一回の講演会と作品展、それだけでさをりが始まって、すぐに自立に結びついた環境。片や・・・。私は両極端を見たような想いとなりました。
まさに心なければ人でない。この一言に尽きると思いました。地元のこの町はこのようにキラキラ輝いております。小6の女の子に心を持たせておけばこのようなことにはならなかったのにと悔やまれる想いです。
(2004年7月・341号)