さをり織指導者養成講座が今年の夏も全国各地で開かれている。スケジュールの都合もあり、今年は大阪の指導者養成講座にしか参加できないのが残念であります。本来なら日本中の方々にお話したいところ、リポートに書かせていただきます。
今回少し気になったのは、受講生の先生方がみな熱心で、熱心なあまり、ともすればさをりを難しく捉えがちであること。
教えてもらって得たことは、ちっとも楽しくありません。さをりに失敗などないのです。キズを柄ととらえるのがさをり。どんどん自分の頭で考えて、思い切って冒険して下さいと申し上げたい。
そして自分の中にこれ程素晴らしいものがあったのだ、今まで眠っていたのだという自覚を十分に持っていただきたい。
自分の先天的感性と出会うことをはじめねばならない。まずそこからが出発なのだ。教わってばかりいた過去からおさらばをしなければ自分は見つからない。
まず自由に好き好きにやってみる。但し、天は自分のことは自分には分からないようにされたのだそうで、それを見抜く人の目が要る。即ち先天的感性を失わないで保ち続けている人、純粋直観を保持している人々、彼らの無心の作品をこそ天に近いと言えるのではないか。
天の作品に勝るものはない。これは誰しも納得するものである。我々には彼らの無心の作品には到底及ばないことを充分に知っている。故に彼らの作品にあこがれる。そこを基盤と考える。
感性は先天的なればこそ頼れるものと考える。それは自分の宝である。その自分の宝を育てようとする一つの希望をもって成り立っている。それがさをりグループであります。
心して下さい。「芽が出ようとするのを待つ。いじれば壊れてしまうから」 じっとその人を見ること。これが何よりも大切です。
(2004年8月・342号)
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