人間の悦びとは、生命の充実感と発見の鋭い悦びだとアルキメデスは言ったとか。
教わって知ったものは嬉しくない。自ら発見したものは最高に嬉しいものである。そう実体験している吾々は、教えることを避けている。自ら発見したことの大きな悦びを知ったグループのみんなは、生きる充実感を実質自分のものとして身に付ける迄になった。
そしてさをりなるものが次々に新しい“感性世界”を創り出しつつあります。これは今迄になかった、誠に嬉しい悦びの世界であると、ことあるごとに感じます。お蔭で多くの素晴らしい人々に出会うことができた。『グループのみんなで学ぼう』の項目が大きな力となり得た、と固く信じるところであります。
「さをりに出会って良かった」は同時にその分だけの自分を見つけ得たことを意味するものでありますね。更にまたその分だけのグループへの貢献をも意味しています。この手段をこそ、天から教わったものであることをどんなに有難く思っていることでしょう。
「城みさをは自分のやりたいことをやっていて、それをみんなから感謝されている」とよく言われます。そのような勿体ないことがありましょうか!何故ここ迄来ることができたのかと、独りつらつら思いだしてみた。アルキメデスをそこのけにして・・・。
私が自分に感謝していることは、親譲りの正直そのものの上にまだ2文字がつく程の人間であったこと。お蔭で多くのすばらしいお方と出会えたこと。これ以上の幸せはないことは言い尽くせない。その中でこれだけは伝えておきたい、ということを今のうちに。
“目習い”という語を聞かれたことがありますか。これ程大切なこれ程簡単な、そしてこれ程正確度の高い学習方というものはない筈なのに、どうして世間一般に通用していないのか。実に大切なことなのに。さをりとも密着していると思うのに・・・。
話を始めます。ある熱心な仲間の一人が『先生(私のこと)、どうしても先生の作品を見せていただきたい!という人がありまして、先生は真似されることを恐れて(良い意味で)作品は人様に見せないことにされているのよ、といくら申しても聞いてくれないのです。お願いです、どんなものでも・・・』と彼女の真剣な言葉に、風呂敷の半分程の切れ端をお渡しした。しばらくして、ひとつのたいへん面白い作品が私の前に現れてきた。「アレアレッ!」と驚くわたし。「負けた負けた!」よくもこのようにスゴイ自己表現ができるものなるかに、心底から低頭した。
以来、次々と驚く作品がみんな形を変えて、しかも独特の雰囲気で現れる。私はすぐに手紙を書いた。返事がきた。彼女は滋賀県の老人ホームの住人。その手紙の文字を見て、私は一目見て悟るところがあった。習った字ではない。お手本に導かれて書いた字ではない。けれど品位がある。これ程に私の作品を見たいとおっしゃった訳は、と。
その旨を書いた私からの手紙に応じた返信である。『・・・そのような人間ではございません。父は確かに字はうまかった。それだけです。私は何一つ習ってはおりません。見るのが好きで、NHKのお手本は手元にありますが、お習いしてはおりません。何も習ったということはありません。ただ目習いです。』とおっしゃる。「ああそうだったのか」私は気が付いた。“目習い”という方法があったのだ。
あれが目習いなのか。彼女は文字だけではなく、美しいものを常に見ようとしていたのだ。彼女の独特な方法だったのだ。彼女の数々の織りの中にいくつもそれが現れていたのです。これほど効率の良い方法は他にないことを知りました。思いもよらぬ市井の人から教わった私の驚きは大きかったのであります。彼女にいくら言っても、私は老人ホームの片麻痺のコタツの守をしている老人でありますとただそれのみ。
私達は彼女に代わってその方法を広めたい。これは大切な大切なことなのだ。おろそかにはできないことなのだ。80歳を過ぎた彼女。しかも片麻痺に。吾々の好きに好きにのその前に目習いがあった。どれもこれもお役所の机の上からは出てこないもの。しかし大切な大切なもの!『キラキラと輝く目を持とう』はこうした中から生まれてきたものである。
私達は自分らの為に賢く生きたい。あくまでも維新の変革のように。平成の変革を。
おこがましいかもしれないが、私は女性の意識を変えたいと思っている。生きていて何をすべきか?後悔はないか?自分の可能性に挑戦してみようと思っているか?やってもみないでわかる筈がない。私もそうだった。おそらく仲間はみんなそう思っていたに違いない。みんなできないと思っていた。なのにやっているではないか。やれているではないか。なぜ?あるもの、自分の中に持っているものをそっくりそのまま役立てているからである。新たに教わるものは、方法だけ。すべては自分の中にある感性を活かすことにある。
さをりって面白い。作品を通して人と心を交換する。目習いで多くの人と交換できる。そして自分が育っていく。やはり人と人との間で交わされなければ、それは生きたものにならない。お互いに生かされつつ生きていく。さをりの考え、理念。この法則は絶やすまい。この法則は絶やせない。
(2004年3月・337号)