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その森内家の娘であった人、
つまり私の祖母と
いつも同じ部屋で離れた家で眠っていた。
だから、
祖母との付き合いは
私が最も長かった。
夜遅くまで机に向かっていた私を、
「みさを、いい加減にして寝なさい。」
と何度注意されたか知れない。
孫といっても
先妻の人の子であった孫を
大切にして下さった。
それを知っている私達は
特別な想いで祖母を大切にしていた。
なぜって、
祖母の産んだ二人のお子さんは
例のスペイン風邪の大流行の犠牲になったのである。
その息子の家として建てた別棟に、
今こうして孫の代役を私達は…
ということを心に持っていた。
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