思うことがひとつあった。中国から色々なことを教わってきた日本。中でも織りを教わったのは仁徳天皇の時代だと聞く。仁徳御陵は女学生時代、毎月歩いてお参りしたせいか、なじみ深い天皇である。日本一大きい御陵であると聞く。その天皇に感謝を込めて、あの大きな御陵をさをりの布で取り巻くという発想があったが、宮内庁のお許しが得られないということで取り止めとなった。
織りを伝えてくれた中国は、さをりを始める頃から、それとなく気になる存在であった。そのような思いもあって、今回の中国旅行に参加した。
北京飯店(中国随一のホテル)に3泊4日の団体旅行。やはり気ぜわしい。気に入ったものをジックリ観察したい私にとっては、心がざわついていけない。2日目には、自由行動を取らせてもらう。早朝目覚めるとホテルに備え付けの便箋8枚に思いのたけを書いた。
この国にさをりの発想が必要ですよと。中国の方々に訴えたい。日本がたどった道をこれからの中国はたどるでしょう。是非さをりをおやりなさいと。自己表現が簡単にできるさをりを。人生とは自分を見つけにきたところ。感性は死ぬまで衰えないと。
昔、織りを伝えてくれた、そのせめてもの些細な些細なご恩返しの一端になりたい。思い余って事務所へ押しかけ、ホテルの総支配人に手紙を渡した。お目にかけた布に、目を見張っておられた。
午後、地下鉄に乗った。私には見た目は、中国人か日本人か全く判らない。ただ中国の人々がみんな買ったものばかりそのまま着て歩いている。お店そのままが人に移されて歩いている。まだ自分の意志を働かすということが少ないという点に、日本との違いを見た。
天安門広場に連れて行ってもらう。天安門。名高い天安門広場。ここが今回の旅の目当てであった。ここがあの有名な天安門なのか・・・としばし立ち止まって歩けない。1歩1歩が歴史を感じるのが如く、私の前に立ちはだかっていく。圧倒される。何度思い描いたところか知れない場である。この広さ、この威厳!それにまつわる歴史的背景を想い、よくぞここまで来たもんだ!と強く強く感じた。
一生の間に行ってみたいところ、という希いを人々はみんな抱いていきている。その死ぬまでに一度は、の希いがこれで達せられたのだという安心感!正しく冥土のみやげである!命あるうちによくぞここまで・・・と感謝感謝であった。
私は昔から旅の印象はよく頭に残るたちだ。天安門は大きく広くいつまでも心に残るにちがいない。続いて、天安門の事件の後、間もなくワシントンD.C.での「ベリースペシャルアーツ第1回世界大会」があったことを、これからは連続的に思い出すことだろう。
そしてこの天安門広場を中国のさをりの布で取り巻いている光景を夢想したことも思い出すだろう。いつの日か中国でもさをりが花開き、シルクロードの終着駅日本が、世紀を越えて今度は始発駅となってご恩返しができたら・・・。そんなことを感じた中国への旅であった。
(2003年9月・331号)