夏のさをり織指導者養成講座でお話させていただいた。今年で27年目になるが、私の話したいことは昔から変らない。自分では気付かない自分があるということ。どんな人にも天から授かった遺伝子に組み込まれている感性があるということ。教え込むのではなく、その人の良さを見出し、引き出そうと心がけることの大切さ。講座では時間が足りずご紹介できなかったお話をしたい。私が自分のものは自分にはわからないのだと気付いたお話しを。
確か小学校三年生くらいのことであったように思う。作文なんてものでない「つづりかた」の時代である。「みさを、ちょっとおいで。土蔵のネズミを捕る手伝いをしろ」と父の声。姉はネズミと言えば飛んで逃げる人である。私はあっと構える人である。「みさを、俵の向こうに行って逃げてきたネズミを追い出す役目をしろ」と言う。私は棒を持って構えている。出口のところに父がいる。ネズミは、やばい…と俵に戻る。そこには棒を持った女の子がいる。これはやばい…と逃げ回る。米俵はうず高く積まれている。その向こうの壁際をネズミは走る…。
その様子を「つづりかた」に書いた。三年生にはなっていたかもしれぬ。その「つづりかた」を先生はうまい、と誉めて下さった。何よこんなこと、そのままただ書いただけではないか、どこがうまいのか?と思っていた。
こんなことで誉められるとはどういうことかわからなかった。それなのに上級生になった頃、小学校の校門近くの掲示板に貼り出されたりする。これしきのことで何がうまいものか…と思っていた。そして女学生になった一学期。春の遠足の作文を四クラスの一部分ずつに分けて学校新聞の記事に出されていた。何だこれしき。入学試験も大変と聞いていたが、これくらいのことで新聞に出るとは、大した学校でもないような気がする…と思っていた。自分のことは自分にはわからない…の第一歩であった。しかし、まだまだそこまでは気付く由もなかった。何が普通であって、何をして良し、とするのかは全くわからなかった。一度夏休みの日記帳を、あなたの日記帳は楽しいのよ、読んでいて、と担任の先生に言われたこともあったが、そのことも、へーっと受け流すだけであった。それほどに自分のことはわからないものなのである。
今にして思えば、何か文章を書く仕事でもできたのではなかろうか…と、過ぎたことを思ったり…。そして、結婚の相手となる人は、作家であれば嬉しいのだか、まさか我々の周囲ではあり得ないことなのだ…と片付けていたのだ。まあまあ、人というものは自分のことはわからないものなのだ。そして九十年経ち、それに気付いていれば、今もう少しましな文章が書けていたものを…と思っても後の祭りであった。
その反対のケース。ある日、中庭の絵を描いていた。五年生の頃だったか、私の横を父が通った。「みさを、松はこのように書くものだよ」と指でその筆法を示してくれた。ハイハイ、そうですか、とばかり、私はやってみた。その絵は自分では気に入って、「やれやれいいことを教わった」と思っていた。これからは父の筆使いをヒントにしようと思っていた。父も妹も絵はうまく描けた。私の絵を先生はご覧になって、「おいおい、これは誰かに描いてもらったろう?」とおっしゃった。ところが気の弱い女の子の私は、「いいえ、違います」とは言えなかった。「口で教わっただけです」とは言えなかった。以後私は絵を描けなくなった。父も妹もうまいのに、私は描けなくなった。幼心は恐ろしいものだと知った。
幼い時の印象は恐ろしいもの。片や「つづりかた」ではうまいと言われ、何よ、ちっともうまくはないぞ、そっくりそのまま書いただけなのに…どうして、うまいと言えるのよ!と長い間思い続けていた。もしもそれが本当ならば、そのための注意を払い、努力をしているはずだった。得意なところは伸ばすというのは、最も大切なことだったはずだ。なのに私は子供心にも、「なぜこのようなもの、誉められるのよ。そっくりそのままのことを書いただけなのに。それなのに、それなのに、何も苦労もなしに書いたものを…」と思っていた。
私には出来ないことが多々ある。とてもとても人様の右に出るような人間ではないといつも思っている。みんなみんなそのように自分のことは見えないのだ。とすれば、これは大変なことではないか。在るものを見つけ得ないで終わってしまいかねないからである。これはゆゆしき問題ではあるが、そのようなシステムはこの世間にはありそうもない気がする。困ったことである。
当時はそれ以上のことは少しもわかってはいなかった。しかし大人になって少しずつ少しずつわかってきたことは、その逆の場合、つまり立場を逆にしたとき、相手の作品を鑑賞する立場になったとき、これはスゴイ!とこちらが言う。相手は怪訝な顔をしている。「本当かなあ?」という顔をしている。そうだ、自分のことは自分にはわからないのだと気付く。昔の自分を思い出しているのである。ようし、この際はなぜ良いか?のその訳を知らしめねばならぬのだ。
自分のものは自分にはわからないのだと気付いた時、こちらの判断は正しくなければならないのだという責任のようなものを感じる。それが他の人のものを認めるための自分の姿勢なるものの正しさを要求する責任なることを感じとった。また一つ自分を高めねばの立場となった私であった。
人の中にある良いところのみを引き出すこと。これがなにより大事なのです。
(2006年8月・366号)
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