作品展の案内。『さをりを始めていくらか織れるようになったら、夢が湧いてきた。旅をした思い出の場所を織って「最後の旅立ちに着て行きたいな」と。オーロラの布を織るに当たって、経糸が思いがけなくいい色に染まり、とてもうれしくなり、経糸に導かれるように勝手に手が動いた。心地よく、旅をしているがごとくに布の中に自分を見る。織り終わった後、すぐ、「また織りたいな~」と思った。夢は果てしなく、楽しく広がる。無限の空の向こうに・・・』
SAORI大阪のスタッフとそのお母上・内川トシ子さん(80歳)の親子展である。どれもこれも素晴らしい作品ばかりだが、中でもこのオーロラの布に感銘を受けた。まさしくオーロラの如く、いや実物以上に幽玄さを漂わせる力作である。織り上がりの部分は天国で見る風景を描いたものという。自分が死んだ時に、棺をくるんで一緒にあの世へ旅立ちたいとのこと。そんな内川さんもSAORIを始めたのは10年前だが、当初は布地しか織れず、面白くなかった。そんなある日、娘さんの「今まで生きてきたお母さんの顔が見えない」という一言がきっかけで、「自分史を織ればいいんだ!」と悟られた。その成果がこれである。
負けた負けた!と思った。偶然にも私は最近「自分史」を書いている。まだまだ出来上がらない。送っていただいた彼女の作品を拡げてみて圧倒されてしまった。彼女の中にある才能が、その“表現能力”がまざまざと見える。ところがどこを見ても自慢たらしいそぶりも現れていない。只々謙虚そのものである。実に奥ゆかしい限り。お目にかかったこともないが、まさに丸ごとの彼女との出会いができた思いがするから不思議である。
娘さん曰く、「我が母ながらよくやるとは思っていても、人様には何一つお話できない。すべては自慢話となります。今回のように、黙って作品だけを見ていただく・・・これがすごく親孝行となりました。このような親孝行が簡単にできるなんて、なんという幸せでありましょうか」と。
まず多くの人は言葉で自分史を書く。当たり前である。ところが、SAORIで自分の一生を表現できるということに気が付かなかった!先を越された!“一見しただけですべてを知ることができる”これだけでもスゴイ!その上に“自慢たらしく”から逃れられるという最も嬉しい立場に立てる。これは素晴らしい。このようなスゴイモノがあったのに、そこに気付かなかった自分はなんという愚か者か。人は必ず死ぬ。足跡を残したいとみんな思う。せめてこの世に生きたことのある足跡なるものを。その足跡が大威張りで残るのだ。孫子のまたその孫子の代までも。
織りで表現しきれない愚かな私はしどろもどろでペンで自分史を書く。内川さんに負けていられない。私は私の自分史を完成させたい。
(2004年2月・336号)
はじめまして。
感力へのめざめに大変感動しました。
私は今、山形県寒河江市にある知的障害者施設「さくらんぼ共生園」でボランティアをしています。
1年間ボランティアという制度の参加という形で、この1年山形で暮らすことになりました。生まれ育ちは京都市です。
高校中退し、自分探しに、と参加しました。まだ18歳の未熟者です。
そんな私、もちろん福祉の知識も、障害の知識もない私を、「最初は知識なんて邪魔になるからない方がいいのよ」と職員さんが言ってくださります。
それは みさをさんが言われている、
教えない ひきだす と関係しているのかな…なんて思っています。
私の場合、教えようにも教えられないので…。
園長が、柚子さんに感力へのめざめを是非 とすすめて下さりました。園長さん、すばらしい視点をもっておられます。
みさをさんに、うちの園のさをりを是非プレゼントしたいです…☆
素晴らしい方々と一緒に過ごせるこの1年は、一生の財産です。
長くなってすいませんでした。
投稿情報: ゆずこ | 2006年8 月18日 (金曜日) 10時45分