10月27日(木曜日) 宮城にて
本庄からのお二人が仕事という事で、「楽しいひと時を有難う。城家の方たちに宜しく。」というメモを残して、私たちが未だ眠っているうちにソット帰って行った。夕べはお布団に入ってからも、「無理しても来てよかった。みさを先生に会えてエネルギーをいただいた。もっとさをりを頑張る。」と興奮していたけれど・・・。
朝食前、身支度をしながらふと外を見ると達也さんが庭を散歩している。稲住温泉は古い歴史があり、武者小路実篤が「稲住日記」を書いたところで、文豪が愛した宿としても有名で、廊下などのあちらこちらに実篤の書いたものの額などが飾ってある。研三さんも庭の散策をしたらしく、素敵な庭で実篤の碑も有ったということだったけれど、今野さんと私はお喋りに時間をとられて身支度で精一杯だった。宿は大分古くなっていて、夕べは階段の段差の違いにみさを先生がつまずいていた。でも、転びもよろけもしないのには驚いた。 まるでからくり屋敷のような感じで一段だけ階段の高さが違うので、つまずいたご本人はどんなにか驚かれた事でしょう。
午前9時、今野さんに見送られながら私たちは石巻に向って出発する。仙台の仙と秋田の秋を取って名づけられた「仙秋サンライン」を宮城県側にひたすら下る。前にも書いたが残念ながら紅葉はあちらこちらとまばら・・・。燃えるような山をご覧に入れたかったと残念がる私に、みさを先生は「京都や大阪にも紅葉は沢山あるけれど、こんなに大きな景色は無い。凄い、凄い、来て良かった!」と言ってくださる。宮城のチロル地方と呼ばれる鬼首を抜け、鳴子ダムで小休止。ここでは記念写真を撮る。研三さん、達也さんも「凄い、奇麗だ。」と言いながらあちこちらの山に向ってシャッターを切っている。こけしといで湯の里鳴子温泉には「鳴子峡」という紅葉のメッカも有るが、見ごろには未だ2週間ほど早そうなので寄らずに通り抜ける。古川、小牛田、涌谷と町並みが続く。みさを先生は長時間車に揺られているのと、雄大な自然に満足したのか助手席で居眠りをしている。
宮城県は私の縄張り。迷子になることも無いので、予定通り12時にきっかりに石巻に到着。ラーメンがお好きだと言うみさを先生に「揚子江」というお店のふかひれラーメンをご馳走したいと思っていた。 宮城県には全国的にも有名なふかひれの産地気仙沼が有り、石巻でもふかひれのお寿司やラーメン等が食べられる。「美味しい、美味しい。」と召し上がっていただき、腹ごしらえを済ませて今夜の宿の我が家に・・ 。
石巻での講演は、「手織りサロン絆」で1時半からの予定になっている。実はみさを先生がいらっしゃる一週間前、私の教室の作品展に新聞社とラジオ石巻が取材に来てくれた。その折にみさを先生の講演の前振り記事も載せてもらった。今回の取材も依頼し、ラジオ石巻には講演の様子を「どんどん、流してください。」とお願いしてあった。「手織りサロン絆」は、我が家とは道路を隔てた目と鼻の先なので荷物を置いて歩いて向かう。
会場に着くと絆の仲間に混じって私の教室の生徒さんや作品展で声をかけた一般の人が、そして見覚えのある取材の方達もスタンバイをしてくれている。凄い熱気のうちにみさを先生のお話。研三さんのお話と実技講習。みさを先生のサイン会へと続く。
私は頃合いを見て、みさを先生、研三さん、達也さんを絆に残して、今夜の宿や夕食の準備に家に戻った。ご家族だけでゆっくりと休んでいただきたいと思い、お泊りは古い離れで、食事の時だけ我が家に通っていただくことにした。
当初私は、旅の途中なのでお疲れを取る為にも、今夜の食事は少人数でと考えていた。ところが、噂を聞きつけて、さをりをやっていない友人までが「混ぜてくれたら、さをりを始めるから。」「一品、持って行くから混ぜて!」と総勢16人の食事会になってしまった。私が「みさを先生に会わせるからね!」「みさを先生に会わせるからね!」と吹聴したという話だが、食事会の意味ではなかった・・・。午後6時、みんなが勢ぞろいしたので絆にお迎えに行く。
みさを先生を憧れの混じった感激の眼差しで迎えたみんなが、「私は堅苦しいことは嫌いなんや。」というみさを先生の言葉を合図に、私にとっては恐怖の無礼講。待ってましたとばかりに、みさを先生を「みさちゃん!」などと呼ぶ者や「もう少し身体を上に。」などと注文をつけながらみさを先生の肩を揉みだす者。 達也さんのジャケットが素敵だと取り返して「はい、ピース!」「皆さん忘れていませんか? 品位、品位。」と私。「駄目か・・・、だ~れも聞いていない。」各会場とも其処のリーダーのカラーが出でいるというのに・・・。
でも、飯坂で初めてみさを先生の歌をお聞きしたけれど、我が家でも歌って頂けたのですよ! 「荒城の月」を艶の有る声で朗々と。みんなが大感激をしたのは言うまでもない。
後日、その晩遅く帰った息子の大貴からは「凄かったな~。俺が帰ったのにお帰りと言っただけで、誰も気にも留めないし、みさを先生達に紹介もしてくれなかった。」と言われた。でも、よく考えてみると「お帰り!」と言ったのは私ではない。私は大貴は初めから一緒のような気がしていて、数日ぶりに会った息子の所在すら頭に無かった。
★「奥の細道紀行」リレー報告6番手:及川恵美子 その4
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