10月26日(水曜日) 秋田にて
午前9時、ホテルにお迎えが来て「山形リハビリセンター」に向かう。センターの所長さんはとってもさをりに好意的。さをりリポート等も読んでくれていて、かなり詳しい。そして何よりも温かなお人柄。施設を案内していただいてからみさを先生のお話。阿部さんが用意してくれた作品や私たちの着て行ったものを集まった皆さん見ていただく。そして各会場ともみなれたみさを先生のサイン会。でもここでは、本の裏表紙に研三さんや達也さんまでがサインをねだられている。「親子三代!プレミアが付くかもしれない!」誰かが叫んでいる。「私も、私も!」ほんとかしら?
昼食は阿部さんのご好意で所長さんと一緒に、山形の郷土料理を盛り込んだお弁当をご馳走になる。アケビや菊のお料理を大阪の方がたは驚いているけれど、私は何度も食しているし美味しいとも思う。それらの食材はわざわざ養殖もしているし改良もされている。薄紫の菊には「もってのほか」と言う名前まである。もっての外に美味しいという意味だというが、確かに普通の白や黄色の菊よりも甘みも有って美味しい。
昼食後、山形のみなさんと山寺へと向う。山寺は奥の院まで急な長い階段が続く。私も二度ほど登った事が有るがその時は「膝が笑う」とはこの事か・・・と感じるほどきつい。階段の下は門前町のようになっていてお土産屋さんが軒を連ね観光客でごった返している。如何にお元気なみさを先生でも階段のぼりは懸念されるので、山寺の全景を対岸から眺められる絶好のスポット「風雅の里」に移動する。其処には芭蕉の記念館も有り、紅葉には未だ早かったけれど、山寺を眺めながらみさを先生は一句ひねられて記念館の投句箱に。どの様な句か聞くのを忘れた! 残念。
山形の方々とはここでお別れ、13号線を北に三時間あまりの道のり。今夜の宿、秋田県・秋の宮温泉郷「稲住温泉」に向う。
山形を出発して、天童、東根、村山、尾花沢と広々とした田園風景の中を走り抜ける。みさを先生、研三さん、達也さんは口々に「広々としている。」「奇麗だ。」「まるで外国にきたみたいや!」と東北を堪能してくれている。そうでしょうとも、そうでしょうとも、だから私はこのルートを選んだのですよ、うふふ・・・と心ひそかに自画自賛。
そうこうするうちに、左前方に白い帽子を被った霊峰鳥海山が現れる。「わあーっ!」と歓声が上がる。私は「秋田富士とも呼ばれているのですよ。」と説明しながら私の山でもないのに大得意。「ようこそ!」と道のど真ん中に両手を広げていてくれるような鳥海山。その胸元に飛び込むような感じでどんどん進むと途中から山道に入る。鳥海山とはお別れだけれど、漆喰の白い壁に黒のコントラストの木枠が映える金山町に差し掛かる。「この昔からの町並みを保存する為に、この様式で家を建てると町から補助金がでるそうです。」と以前観光に来たときのガイドさんの話の受け売りをする。「ふーん。モダンでしゃれた感じ。」「昔の町並みと思えへん。」反応が良いのでガイドもいい気分! その町を抜けると山はずんずんと深くなる。夕焼けの中、道の両脇には杉木立が続く。
みさを先生が「奥の細道と思って来たけれど、細くは無い。人も土地も深い。みちのくにもさをりがしっかりと根を張っている。奥の細道ではなくて、奥の深道や。」と仰る。なんという嬉しい言葉だろう。東北のさをりスト達に聞かせたい。
秋の宮温泉郷は秋田とはいっても、山形と宮城の県境に在り紅葉の見所である。例年なら、この時期は平地でも東北の紅葉は素晴らしいのだけれど、今年は暖かくて二週間ほど遅れている。でも標高の高い秋の宮なら大丈夫だろうと考えて、石巻にご案内するには少し遠回りだが宿をここに決めた。名残惜しそうな阿部さんからみさを先生をもぎ取るようにしてお連れしたけれど、辛うじて日暮れ前に秋の宮に着くことができた。燃える様な紅葉にみさを先生が歓喜の声をあげる。
ここで私も一句、「みちのくの 深道にきぬ 紅葉あり」
秋田から来てくれていた今野さんが私たちの車が着くや否や宿の玄関から飛び出してくる。少し遅れて本庄からのお二人も到着。山の中ということも有って、今までと比べたら少人数けれど中身の濃い素晴らしいひと時。秋田の方たちが持参した作品の講評を聞く。やっぱり、さをりには「なにやらゆかし」が大事だと感じた。そして、その意味の奥深さをみんなに伝えていこうと改めて思った。
★「奥の細道紀行」リレー報告6番手:及川恵美子 その3
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