「先生、百人の学生がお待ちしています」という電話。よしよし、それぐらいの方々が集まっていて下さるなら大いにやり甲斐あり…と勇んで、神戸親和女子大学に出かけて行きました。
ところがその上に驚いたのは立派な立派なすばらしい大きな大学であったことにすっかり嬉しくなっておしゃべりしながら歩いていきました。これは大変だ、私の今の手持ちメモではなく、より大きな問題でお話しよう、いよいよ熱を入れたいと喜びました。
その先にはもうすでに大きなプランを考えて始めております。彼女達学生の方は学術的に物事をつかんでいる、私の方は適切な実体をつかんでいるつもり、その人間の出会いが大変ありかたい事であります。短い時間でしたが、若い方々が熱心に話を聞いていただきました。
『着ているもので人を読み取る時代となった』 それこそ吾々さをり仲間の最も新しい発想であります。この件について吾々は世をゆすぶることになるものと思います。肩書きや知力・体力ではなく、着ているものでその人を感じ取り、読み取る時代が来る、そのさきがけを始めるつもりであります。
「山路来て なにやらゆかし すみれ草」 という松尾芭蕉の句は皆さんもご存知と思います。すみれ草を見て、はっきりと説明のつくことではないけれど、なにやらゆかし」と感じられる。着ている服を見てなにやらゆかし」と感じられるような服を着ましょう。さをりの服なら、その人なりの「なにやらゆかし」がしっかり入っています。その人の感性が着ている服にしっかり表れています。文学的な感性と並ぶような感覚をさをりは誰でも表現する事が出来ると思います。また、文学的な感性と並ぶような感性を待ってさをりに取り組んでいきましょう。
まだまだお話させていただきたいことをいっぱいかかえて居ります。楽しみにお待ちくださいませ。
(2006年11月・369号)
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