僕、好きに好きにが大好きなんだ!と飛び上がって喜ぶ子供たち。一方で、これ着なさいそれ脱ぎなさいと常に常に親の言う通りやっている子供たち。自分の考えで何ひとつやったことのない子供たち。さをりをやる上でも目の輝きが違います。
親もそこに気付きました。が、全くといってよいほどに自分と出会うということを過去にやっていなかったのは、大人たち。今こそ自分と出会ってほしい。ああしなさい、こうしなさいと教えられることばかりであった哀れな大人たち。
みなさんがおっしゃる。「どうしてこんなに楽しいことを見つけてくださったのですか?こんな楽しいことを」と。
この際気付いたことは自分で見つけたそのものの悦び。自分の脳が見つけた喜び。発見の鋭い歓び。
人間ひとりひとりみんな異なっているのに、ああしなさいこうしなさいと頭から決まりきったことを押し付けられる。社会に生きる上において、それもまた致し方ないことである。
けれど我々は人間である。血の通った人間である。人間の方で自分流に変ればよいことである。さをりはそれをやっている。
決められたものは人のもの。自分のものではない。大切なのは自分である。だから私は自分の好きに好きにを大切に考えている。自分との闘いを常にやっているととても楽しい。そして自分を育てていくそこに大きな喜びがある。自分を生きるそのものがある。
まずは自分を大切に。これを忘れないこと。その現われをさをりを夢中で楽しんでやる子供たちの中に見つけた。
子供たちはみんなみんな純粋。その純粋をさをりの中で行いたい。みんな幼い日があった。だからみんな楽しい当時を残しましょう。自分のために。それを基本にして私たちは生きようではないですか。素晴らしいものが隠されている自分の能力なるものを見つめ直して楽しく生きようではないですか。
(2006年9月・367号)
コメント