さをりは自分を見つけるためのもの。大切なのはモノではなく人なのだ。これが自分の中にあったものだったのかと気がつくことによって、自分の身についているものと出会うことなのだ。自分をそこに見出し、次第に成長していく。人生を彩り豊かに作り上げていく。
あなたの好きに好きに織りましょうと言うと、子供たちは大喜びする。困るのは大人たちである。なぜ?汚されたから。子供の純粋を失ったから。習ったものの習慣で無心になれないから。教わって知ったものには感動はない。自分で発見したものこそが唯一のもの。
最も大切なものは何か?天から授かった、ひとりひとりが確かに持つ、純粋な先天的感性を見つけること。天の作品には誤ることがない。すべてその時々が完成だという。私たち人間も天の作品である。生まれた時は過ちがなかった。もう一度子供に返ること。少なくとも子供の心に返ること。汚れを落とすこと。大人の汚れを落とすこと。捨てなきゃ見えぬことを知る。
誰もができないことをやってやれ!と開き直ってみればいい。キズモンを創ること。「思い切って冒険しよう」であります。キライな色もエイッと入れて。そこに自分でなきゃできないものが現れる。世界に一つのものが現れる。それこそが今まで見えてなかった自分であります。人に上下の区別ないように、さをりには上手も下手もありゃしない。「人間の存在は表現なり。表現なくして存在はない」といいます。せっかくの授かった人生、精一杯生きなきゃ、宇宙に申し訳ない。今『私の履歴書』のようなものを書いている。書きながらそう思った。そう思いながら今日も機に向かっている。やりたいことをやるだけである。なんと幸せなことか。
(2003年12月・334号)
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