送られてきたFAXに驚いた。これが小学6年生なのか?と信じられなかった。大人顔負けではないか・・・。次に思ったことはこれ程すごい差のある人間を一律に考えるのは大間違いであると。とすれば知育ではなく感育の場で別扱いの導き方をせねばならなぬ・・・と。そして尚大切なことは彼女の能力を傷つけないための我々側のなじみ方をこそ大切にすべきであることを・・・。
先生はおっしゃった。「先生に取り上げて頂いて彼女は大喜びですよ、どうぞ発表してあげてください。」「分かりました。筋は通して校長先生と知事さんにもお伝え致します。」とお答えした。
“同級生とは合わない部分”を感力で仲間づくりをしよう。そのための方法としてお互いの作品交換をしてその方の能力によって、他と合わない部分を補うことを。そして常に楽しくあるさまを保つこと。決して別扱いにしない。感力面での仲間に入ってもらいましょう。それが彼女の能力を通してのあり方の自然であると思うから。あなたの仲間はこちらにもいますよ・・・という風に。私たちにはその雰囲気は充分に整っているのだから。お受けしましょう・・・と。
以下に、さリコの若月哲枝さんから送っていただいた、小学生の吉田さんの感想文をご紹介します。
『自分のコントロール・人間の悲しさ』広島県三次市立 青河小学校6年 吉田日和
私は去年の1月頃に「さをり織り」と出会いました。そこでは何もかも自由でした。「これはダメ。これもダメ」と制限されるのがないのです。ましてや、そのダメと一見思われるのが良いのです。私は、「こういう世界があったんだなあ」と思わず口にしました。そしたら若月先生がとても喜んでくださいました。私はその日とても心が軽く、一層の重荷が取れたようになりました。それは、今の世の中に押しつぶされていたんだと思いました。
それを続けて1年後が最近です。一番最初に「さをり織り」をすすめてくれた山下先生が城みさをさんの話のカセットテープを貸してくれました。ここからはその感想文です。
城みさをさんは、知的障害者がとてもうらやましいと語りました。なぜかというと、「私たちより純粋」だと言われました。それは心を空にし、自然に思い通りやるからだそうです。機械文明に汚されていないから、ひとつの世界を作っていくのです。確かにそうだと思います。
城さんの言ったのと同じく、自分達は自分をコントロールしてしまうと思います。コントロールは「ここの所へどの色を入れたらいいのかなー」なんて考えることです。もうそんなことを考えてきたら、汚れに負けてしまったということです。すると悲しい人間です。コントロールした人は全体を決めてしまって、良い織り物ができないんだそうです。今の私は、実にその通りになってしまっていました。そのことに気付きました。・・・(以下略)
彼女の能力を活かしつつの成長であるように、こちら側の大人たちも大いに自重すべきであることも含めて、彼女を楽しませてあげましょう。『芽が出るのを待つ。いじれば壊れてしまうから』
(2004年4月・338号)
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