窮屈な姿勢を強いられると、自由な動作が取れなくなる。
身体が硬く、血の巡りが悪くなる。
窮屈はいけない。
身体を窮屈にするのもいけないが、
精神が窮屈になるのはなおいけない。
伸び伸びとした自由自在な姿こそ天然自然の姿である。
人は近視眼的見方に陥りがちである。
とはいえ、ひとつの見方が常に正しい見方であるとは限らない。
万物は日々新たに、千変万化し、
今日の姿は、もはや昨日の姿ではない。
だから吾々も、新しいものの見方を生み出してゆかねばならない。
融通無碍に変化する“やわらかアタマ”を持ちたい。
心が窮屈では、この自由自在を失う。
だからいつもでもひとつに固執して、
我と我が身を縛り付けることはよそう。
そんなところに発展や進歩は生まれない。
お互いに窮屈を避け、闊達なる心でモノを見て、
そして考えてゆきたいと思う。
自然はすべて、それぞれひとつひとつは完全な存在ではない。
しかし、不思議なことに、
それぞれの適性の中でその本領を発揮し、
お互いに与え・与えられつつ、
大きくそして美しい、見事な調和を生み出している。
自然の一部である吾々人間も同じではないか。
お互いそれぞれ完璧でなくとも、
それぞれの適性の中で、懸命に、精一杯、
その本領を活かすことを心がければ、
大きな調和のもとに、
自他共に感じられる幸福が生み出されてくるのである。
駄目なら駄目人間でいいではないか。
駄目なりに、自由に、制約を受けないで挑戦する。
そうすれば、何か見つけられるチャンスがおのずから拓けてくる。
「よしっ、もっと駄目になってやろう!」
そう決意すると、もりもりっと力が湧く。
勇気が出る。
要は思い切る覚悟と気概である。
自己を捨てることによって、まず相手が生きる。
その相手が生きて、自己もまたおのずから生きるようになる。
双方の生かし合いである。
そこから豊かな平和と幸福のある、
調和した世界が生まれてくるのだから。
(2005年7月・353号)
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