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当時、
職人が使う機械はありましたが、
とても大きく、
かなり習熟しなければ
とうてい使いこなせるものではない
難しいものでした。
綜絖枠(そうこうわく)や筬框(おさかまち)など、
肝心な部分の調節は、
すべてヒモで行っていました。
そのために
最初に何通りかのヒモの結び方を
覚えなければなりませんでした。
もとより
プロの手織作家を目指す年齢ではなく、
あくまで趣味としての手織を
目指していた母には、
荷が重すぎました。
それで、
イチから手織機を作ろうとしたのです。
【研三さんが語る、母・みさをの「さをり」物語】
★★★ その4 ★★★
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