私は、
性に合わないから
商家へだけは嫁ぎたくない、
と思いつづけていた。
ところが皮肉なことに
当初サラリーマンだった夫が、
終戦という大変動のおかげで、
商売をしなければならない羽目となった。
そこで思いついたのは、
サラリーマン時代の経験を生かした
工作機械。
ところが、
小資本では手も足も出ず、
まず工具を扱うことから始めた。
主な得意先は
織布工場であった。
「金ヘンの工場より
糸ヘンの工場の方が
伝票が多くなってきた。
糸ヘンが景気がいい」
などと夫が言い始めたころ、
“糸ヘン景気”という言葉がはやりだした。
やがて、
“ガチャマン”という言葉がつくられた。
ガチャガチャ織機会を動かせば、
万という金が儲かるという意味だった。
夫の父は、
かつて織布工場を経営し、
武士の商法ならぬ百姓の商法で、
すっかり破産をした憂き目にあった。
ちょうどその時、
青年時代にあった夫は、
織布に対する拒否反応があり、
自ら、景気の良い織布を
始めようとはしなかった。
やがて、
物品販売だけではなく、
能率を上げるために改造した
新製品も加えていった。
夫婦そろって
性に合わない商売ではあったが、
前向きに改造を繰り返すことによって、
業界のコンサルタント的役目まで
果たすようになってきた。
どうみても女っぽくない
女の私は、
どうかすると夫と同じように、
改良に興味を持ち、
もともと不得手な家事は、
おろそかになる一方。
お客のたびに
冷や汗をかいていた。
「おまえは
階段を上手に拭いているね。
歩くところだけ拭いているね」
と、
夫に言われて階段を見ると、
なるほど、
隅の方はほこりだらけだが、
歩くところだけ美しくなっている。
必要なことから
家事をやるという毎日だった。
「女の子を生まなくてよかった。
こんな躾をしていては、
嫁にやれないよ」
と、
母がよく私をしかった。
駄目主婦は、
その代わり、
織機のことは
よく知っていた。
『わたし革命 ~感性を織る~』 城みさを著
(神戸新聞出版センター 1982年刊 ※絶版)より
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