私がいくらお金をもうけたって何になる。
たかが一人のものではないか。
それよりも、
一人でも多くの人に、
自分にもこんなことができるのだということを
知ってもらいたい。
そのために残りの人生を使い果たそう。
そう決心した私は、
日夜、そのことばかりを考えはじめ、
いかにすれば理解してもらえるか、
そればかり思いわずらう日が続いた。
いっせいに同じものを教えることは易しい。
それに引きかえ、
一人一人の能力を見つけ出す方法は、
いかに困難かをまざまざと知らされた。
良いとわかっていても、
難しいと避けて通る。
だからこそ、女性は、
物まねしかできなくなってしまったのだ。
思えば思うほど、
よけいにやる気になってきた。
目が覚めると暗がりの中で
いつでもメモがとれるように、
枕元に紙と鉛筆を用意する、
といった毎日だった。
できるだけ取り組みやすいように、
機を改良し、
簡単に操作できるように工夫した。
単なる、うわべだけのことで振り回されることを避け、
本質を突くことに重点を置きたかったからである。
教えてはいけない、
引き出すのだ。
この原則のもとに、
何をすべきか、
実際に当たってみるよりほか方法はなかった。
『わたし革命 ~感性を織る~』 城みさを著
(神戸新聞出版センター 1982年刊 ※絶版)より
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