哲学者梅原猛先生は、「あなた達のやっていることはとてもとても大切なことなのだ。しっかりやってくださいよ。あなた達はなんでもない顔をしているけれどこれはとてもとても大切なことなのだ」といつもおっしゃってくださる。無学の我々には今行っていることの重大さを知らない。だから先生は常に私に向かってはっぱをおかけになる。先生はじれったいお気持ちで「城さん、あんたがうらやましいよ」とおっしゃる。だからこそみなさんに、「私を助けていただきたい、老いぼれを助けていただきたい」とそれのみをお願いしています。
「これができたらノーベル賞ものだ」と阪大教授に言われていたが、これができたらとは何なのかおよそ理解できました。みんなみんな異なる花々を咲かせることができたのだ。それをもって「これができたらノーベル賞ものだ」とおっしゃっていらっしゃるこのお言葉はとてもとても大切なお考えであります。
ところで今日の仲間の数人が親と子の関係について驚く話を次々とおっしゃる。「のんびり織っていられない時代なんだ」と話してくださった。到底私如き者などのかかわれるところではないということを知りながら、我々のできることと申しますと、子ども達が実にステキなものを織る。つまり「好きに好きに」の好きなことをやるよろこびに出会ったこと。それだけでありますが、手がかりとして「好きに好きには楽しいものである」ということ。
親より子どもの方が好きに好きに織るのがうまいということは確かであります。それを母親は気付いていない。彼等はまだまだとてもできないと思っている。その過ちを母親に知らせたい! それだけでも効果があるのでは・・・。親のほうが子どもの才能を知らないという有様を申し上げたいところであります。その親たちは「ああしなさい、こうしなさい」とばかりに教育を受けた人々であると思われます。大きな一つの転換を抜け出してこそ、新しい人間となり得る大切な切り替え時であります。
(2007年4月・374号)