“人生ってなんだろう”と思う。私には、五十七歳から思いもよらぬ人生が展開した。まさかこんなことができようとは、思ってもみない事であった。たしかに二十五歳の時、目からうろこの落ちる想いをした。それが根にあったことはまちがいない。しかし、このような事は珍しいことではない。誰だって感じることである。ところが私には、なぜなぜと次々追究したくなる癖がある。そこに矛盾を感じたとき、果してこれでいいのだろうかと生意気にも考えてしまう。そしてつい深みにはまってしまうのです。 深みにはまってしまった私は、そこで又、珍しいものを見つけてしまったので“能力のなくて多くのすばらしき人見つけ得た”のです。これは何事ぞと思っています。これには本人の解説が要ります。逆説で言うと、もしも私に能力があったなら他の人たちの作品に接したとき、心からすばらしいとは言えなかったでしょう。しかし私にその能力がないからこそ他人のものが美しく見える。私のナマの気持ちが相手に伝わる。だから自信となる。自信は自発性を呼ぶ。あとはひとりでに成長する。『感性はDNAに組み込まれて生まれてくる。それは刺戟によって増殖し自発性によって更に成長する』と証明されている。その如くに、刺戟を与え自発性を促すことによって成長する。それは自発的にエスカレートする。 私の知らないところでどんどん成長する。このようにして多くの多くのすばらしい人を見つけ出すことになった。育てたとは口がさけても言えない、見つけたのです。私は鏡の役目、他の人を写す鏡、但し正しく写す鏡でありたいと願っている。加えて相手を大切にと思う心は忘れない。いつも同じ度合いで誰とも接してきた。私という鏡に写して自分の感性を発見された、そのお手伝いをしただけのことであった。“私自信に能力がなかったからよかったのだ”と言うと、誰もがそれを否定される。しかし、なかったからこそあくまでも鏡に徹することができたと思っている。言葉を変えれば先天的一人ひとりの感性を見つける手伝いをしたまでのことであったのであります。このような勿体ない程に有難い指導者があってよいものかと思う程に勿体ない有難い役目に感謝・・・であります。深みにはまり込んでそこで見つけた私の発見は以上のものでありました。再び“人生ってなんだろう”と思います。おまけの人生の中で見つけたもの=能力のなくて多くのすばらしき人見つけ得た=この教育方法を皆様にお伝えしたくてこの本をお目にかけたいのであります。同じ幸せを味わってほしいために思いがけない発見が世の中のお役に立つことを願って筆を措きます。(1996年7月15日)城 みさを
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