最後に結論にふさわしい文章と思いますので、宮崎大学草野勝彦教授のお手紙二通をご紹介します。
一、教育とは「教え込む」ことではなく「引き出す」ことである
私が「さをり」に出会ったのは、つい二ヵ月前、盛夏のことである。宮崎市に、城みさを先生、城英二先生をお招きし、三日間のさをり研修会が開かれた。私は実行委員の一人として、その会に参加させていただいた。城みさを先生のお話は、「教えてはいけません」から始まった。今回の受講者の半数以上は、私と同様に学校教育関係者である。一瞬、戸惑いの空気が流れた。だがその空気も、すぐに先生の迫力と説得の前で晴れていった。「なぜ教えてはいけないのか、それは教えなくても既に一人ひとりが天与の自分をもっているからです。教えるとそれをこわしてしまいます」。先生のお話はあちこちへ飛ぶ。絵を描くことに例えれば、キャンバスの右上で筆を動かしていたかと思うと、さっと飛んで今度は左下、そしていきなり上へ、というようにダイナミックである。だがその筆先を追っていくうちに次第にキャンバス上に絵の全体像があらわれてきて、私たちをひきつける。その絵は、「さをり」になり、そしてまた「みさを先生」その人と重なりあっていった。
「教えないで下さい」。その根底にあるものは、一つは、一人ひとりの個性のゆるぎない肯定であり、もう一つは、自由なる表現への頑ななまでの尊重である。「さをり」がみずみずしく、「学校」が潤れているのは、まさにこの二つの柱の置き方の違いにあるといえよう。学校は立てるべき柱を横に寝かしてしまった。会場では養護学校の子供たちも織機に向かっている。「待っていればすばらしいものが出てくるのです」。先生は会場を廻りながらそう話される。春の野のような安寧がある。現在の「急ぐ教育」の対極。「教育」という言葉の語源(ラテン語)が「教え込む」ではなく「引き出す」の意であることが頭をよぎる。私はいつの間にか、「さをり」の中から学校再建のヒントを探し出そうとしていた。三日目、作品が仕上がった。先生は一つひとつの作品を手にとってコメントを述べられた。そのコメントによって作品の輝きが増した。そして私はその時、その作品もさることながら、それを織りあげた「人」の方がなお一層輝いているのをまのあたりにした。その湧いてくるような喜びに包まれた笑顔は、「さをり」とは何かについての私なりの結論でもあった。(1992年9月)草野 勝彦
二、「さをり」に老荘思想を感じていた
老荘のお話、大変興味深く読ませていただきました。私は、学生時代、先に孔子、孟子の方を読みまして、頭はそちらの方にかたよってしまいました。そんな中で老荘の方も読んだのですが、当時は違和感のようなものを覚えた程度でそれきりになってしまいました。老荘を再び眼にしたのは十年くらい前です。この時は衝撃的でした。同じ老荘なのに今度はひきつけられてしまいました。大ざっぱな図式でいいますと、学校教育は孔孟の路線を走ってきたといえます。残念なことに結果的には個性が集団の中に埋没してしまい、不安と不自由さ、抑圧感を生じさせてしまいました。その弊を正すには老荘が必要だったと思います。価値観の転換を教えてくれるからです。安寧と人が生き生きとなる秘訣を教えてくれるからです。学校は孔孟に重きを置き、老荘を避けた形跡がありますが、今こそ老荘へ眼を向けるべき時ではないかと思います。実は私は、「さをり」にも老荘を感じておりました。「さをり」の価値観と解放感は老荘に通じていると思うからです。老荘は文字で私の頭の切り替えをうながしてくれました。そして「さをり」は「さをり」をもって私の眼からいっきにうろこを落としてくれました。又お目にかかるのをたのしみに致しております。(1992年11月)草野 勝彦
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