それからそんなものばかりをやってないで今度はマフラーをやり始めた。いろんなマフラーをやったんです。そしたら、今度は三番目の息子の嫁が、「お母さん、この中から一つもらっていっていいですか」「どうぞ」。嫁が里帰りに持っていつたんです。それで近所の人にあげた。その中の一人に江崎玲於奈さんのお母さん、江崎二世子さんがおられた。江崎さんがお家へ持っていかはったら、ニューヨークから玲於奈さんが帰ってこられて「お母さん、こんなとこに置いておくと勿体ないから、僕ニューヨークにもらっていくよ」と持っていったと言うんです。それでニューヨークの立派なテーブルセンターになった。アメリカ人がそこへやってきはって、「これはどうした、これはどうした、これはどうした」って、みんな注目すると言うんです。「これは日本の手織りや」。「面白いぞ、面白いぞ。ここへ持ってこさせよ」ということになったらしいんです。ところがその当時は私、全く英語がしゃべれません。行ったって自信がないです。全くそういう知識がない。だから耳の外、通していました、これも。その要求によう応えなかったんです、その当時。そうこう、どうこうやってました。やっているうちにその江崎さんのお母さんが私の家に「ニューョークヘ持っていかれてしまったから代わりちょうだい」とやって来られた。「ああどうぞ、どうぞ。いっぱいありますよ」と応接間に上がってもらって、いっぱい私の好きに織ったマフラーを、「これはソニーの井深さんの奥さんにあげよう、これは都ホテルの渡辺さんにあげよう、これは誰にあげよう」と好きなのを持って帰らはったんです、五、六枚。それを井深さんにもあげ、誰にもあげ、誰にもあげしていると、みんな面白い、面白い。ハァー、そんなものなのかなあと思っていたんです。
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