そこで思いついたのは、昔、室町時代はこんなはずじゃなかったぞ。世阿弥の頃は、山のきれいなものを茶室に持ち込もうとして始まった生花じゃないか。こんなことになってしまった世の中が悪いと、こういうふうになったんですよ。そういうことを考えながら、世阿弥の頃の発想に戻ろうとして、疎開というと懐かしい言葉ですけど、小さい子供三人連れて山へ疎開しました。その疎開の山の中で子供を引き連れながら、車もない時代です、山へ行っては、かつぐように雑木をもらってきて、それで研究したんです。そして、よしわかったぞ、と自分なりにわかったんです。そして何だかんだと言っているうちに、疎開から帰った時に母校の先生が私のことを聞きつけてた。城さん、面白い花やっているそうじゃないか。校長さんにこれをしゃべられた。それが大阪府立三国丘高校。これもまた堺では、まあご存知の方あると思いますが、その校長さんから葉書が一枚舞い込んで、「あんた、面白い花やっているそうじゃないか、やってくれ」。そこでやり始めたんです。
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