結婚しました、昭和十三年、二十五歳の時に。ああお客さんが来やはるから花でも活けましょうと思って、その辺の近くの山へ行って、道ばたの、山グミ、御存じでしょう? あの山グミを三本だけもらってきて、私は師範代でござい、何でもできると思っていたんです。母がまさかの時にお粥でもすすれるように免許を取っておきなさいというから免許を取ったんですよね。師範代という免許を。そしたら何でもできると思っていたら、池の端から取ってきた三本の枝、ここがおかしい、ここがおかしいと切っていくうちにバラバラになってしまった。この三本の枝をどうにもできないという生花は一体何をやったかと思ったんです。こんなはずじゃなかったぞ。私はどんなものでもできると思ってた。ところが3本の枝がバラバラになってしまって、それを眺めながら涙をこぼして、一体私は何を習うた。じいっと考えた時に、なあーんだ、習うたのは生花の型であった。型、未生流という生花の型であった。今私がやろうとしているのは自然の美しさを家に持ち込もうとした行為じゃなかったか。大きなギャップがありますよ。次元の違いがあります。何を習うたか、この私は、と思った。だけど習い始めの十七、八の小娘にその先が読めるわけがないんです。私もぶつかってみてわかったんです。自分の能力のなさが、その時初めてわかった。十七、八の小娘に、生花を習っている人たちの中にそれだけの先を読む目はない。だからみんな何も知らずに役に立たんということがわからないで、皆おけいこをやっている、何事によらず、すべてのおけいこは。なぜそう型にはめられたかというと、一番教えやすいからですよ。こんな教えやすい方法はありませんよ。画一的に教えていく。一の枝、十分の七の枝、二分の一の枝、四十五度、六十度、九十度。どこやらに何を入れてって、こんな教えやすい方法はないんですよ。だからこの簡単な画一的方法を思いついたんだ。これはいかんぞ。みんな知らずにそれを習って、私のあとを迫い掛けている。前車の轍を踏んできてる。これはひとつ改革しないと、と生意気にも考えたんです。
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