言い換えれば、
自分の先天的感性と出会う行為であるならば、
それを通して多くの多くの人々が人として見えてきた。
人の数だけの異なった作品がそこに見えてきた。
それだけに止まらずよりよく人間を生きるためには、
このような楽しいこともあるのだということがわかってきた。
自分ひとりが悩む必要はないのだという安堵感が湧いてくる。
似たような人たちがいっぱいいることもわかってくる。
人に上下はないように、
作品にも上下はない。
好きに好きに自分の思うように気の向くままに織る。
そこに自分が見えてくる。
だから私はどうなんだ!
と自ら自分のことを知る。
温めることになる。
安らぎがそこにある。
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