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さをり織りは、
自分の思いのままに、
自分の好きなように織ることから、
見えなかった心が、
形となって現れ、
見えるようになるのです。
それを手がかりとして、
自分の心を自分で鍛える手段が見えてきました。
これは過去の時代のような、
不幸な緊張ではなく、
楽しい緊張であります。
文化的水準の高くなった現代でなされていく、
楽しい自己表現なのです。
その切り替えを今こそうまくやるべきではないかと、
私は思います。
感性を柱にして、
安心して取り組みをするべきではないか、
と考えます。
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