人の一生というのはおかしなものである。
大づかみなところでは動かし難い
何者かによって定められているようでありながら、
その人生をどのように変えて行くかということは、
自分の計らいでできるもののようである。
有難いことに、
人はそれぞれの価値判断をそれなりに下す自由を
与えられているように思われる。
私は3人の息子を結婚させ、
母のつとめを終えたと思ったとき、
かねてあこがれの手織りを始めたいと思い立った。
57歳のときだった。
長いこと私は、その時機をねらっていた。
何故かというと、
手織りなんてそんなに簡単にはできないものと
決めていたから、
数年はかかるだろう、
それなら手が空いてからでないと、
と思ってのことだった。
しかしそれは、
数年かかると頭で思っていただけのことだった。
やってみればなんのことはない。
すぐに面白い、ユニークなものが織れたのである。
頭で思っていたのは、
“伝統の織り”のことだった。
私のやったのは“自分の織り”だったのである。
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