すべて人の世は、このようになっていたのかと気がついた。
自分のためにやったつもりが、人のために役立った。
人のためにやったつもりが、自分のためになっていた。
どちらにしても、みんな自分のためになっていた。
前者には時にあやまちを犯すこともあるが、
後者にはそれがない。
歳月と年齢は、
前者から後者へと移っていかせてくれるものなのだ。
そこに本物があると私は思う。
具体的に言えば、織りをしたくて始めた。
わずかな糸で高価に売れるものが織れた。
お金は別として、価値が認められたことが嬉しかった。
そのとき、それ以上に大事な仕事が
目の前にあることに気がついた。
その仕事というのは、
物まねから抜け出せば自己発見が容易だと伝えること。
人のために役立つことの嬉しさに夢中になったとき、
いつしか自分にとって大きな収穫となっていた。
教えることは習う以上に高価があることを知った。
振り返ってみれば、
自分のために出発したときとは比較にならない大きさで、
人のためにと思ったときの方が自分のためになっていた。
面白いものである。
コメント