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人間の持っているエネルギー。
それとの出会いこそが、
生きたしるしとなるのではなかろうか、
と思うとき、
人はそこに安住する。
そこにおいて、
教わってまねたものは、
自分のものとはいえないから、
だから人々は困ってしまう。
そこで、先天的感性との出会いを待つ。
その自分の感性と出会うことを欲する。
自分の持つ感性と出会った上は、
人々は好きに好きにをやればよい。
それだけで良いのだ。
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