2005年10月26日 秋田にて
「秋の宮温泉郷となにやらゆかしの奥深さ」
秋田天気は10月中旬を過ぎると、晴れていたかと思うと急に雨やみぞれが降り出すのが定番です。でも今年の10月26日は、間違ったかと思うほどの前日からの晴天続き。まるで天気までもが、みさを先生の「奥の細道紀行」を歓迎してくれたかのように、「天高く・・・」の秋田でした。私はこの天気にも感謝しながら、秋田から高速道路を2時間走り、みさを先生の今日の宿である、秋の宮温泉郷に向かいました。
16時頃、赤松林から、まるでヤマセミがスッと飛んできたかのように、みさを先生がいきなり現れました。「先生」と声をかけると、「きれいやな~」と仰りながら降りてこられました。手には俳句札と筆を持って。案内人の及川さんが言いました。「先生は山寺で一句詠まれ、投函箱に入れてこられたのよ。山形の皆さんにもう少しと引き止められたけど、私、恨まれてもいいと思ってお連れしたの。先生にこの景色を見せたくて」と。本当に素晴らしい紅葉でした。
夜は本荘から高野さんと堀さんが合流しました。早速、秋田の仲間達のさをりの布を囲んで、7人でワイワイと講評が始まりました。一見ムチャクチャに見える織り方にも、何かしら大切なものが隠されているのではないか。そのような織り方の生かし方も限りなくあるということ。その人の持って生まれたものの引き出し方について。自分のさをり織りがマンネリ化にならないようにするためには。等々。肩を寄せ合い、膝を交えての時間は、私にとってまるで何十年ぶりかの修学旅行のワクワクさと、日本画家・川端龍子の「愛染」の原画を見たときのあったかくてすがすがしい気分とが入り混じったものでした。
奥の細道で芭蕉は、最北端の地、秋田の象潟を訪れています。象潟はその昔、松島と並ぶほどの海からの眺めが素晴らしかったとか。でも江戸時代に地震と鳥海山の噴火で、陸に浮かぶ島景色と変化してしまったところです。芭蕉はそんな象潟と松島を見るのが楽しみだったと聞きます。みさを先生にそんな象潟をご案内できなかったのが心残りです。
翌朝、みさを先生は「とても寒くて、持ってきたものを全部着込んでしもた」と挨拶代わりに仰いました。そして「あの、山路来てなにやらゆかしの、なにやらの単純さ、しかし奥深さがさをりの心なんやからね。これを秋田の皆さんに伝えてね。」と仰って、握手してくださいました。9時、チガヤが草もみじになっている中を、車は松島、石巻へと向かって走って行きました。先生、ありがとうございました。これからもお体に気をつけてご活躍ください。
★「奥の細道紀行」リレー報告3番手:今野ひろ子
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