障害者の作品だからと、
安価な値段は付けないように
お願いしてありました。
ちゃんとした
商品としての
値段だったのです。
それなのに、
数点を残して
殆ど完売しました。
発想の転換だけで
これほど大きな変革が起こったのです。
最初、
織機が6台しかなかった織物班は、
にわかに活況を呈してきました。
織機も
35台にまでふくれあがり、
部屋の広さも
4倍になりました。
何より、
それまで「織物は到底無理」
と言われていた
かなり重度な知的障害を持つ人たちが、
ドンドン素晴らしい作品を
織り始めていました。
むしろ、
彼らの作品の方が
凄かったのです。
【研三さんが語る、母・みさをの「さをり」物語】
★★★ その34 ★★★
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