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その当時、
西陣織りなど伝統的な手織以外、
趣味での手織はごく一部でしか
なされていませんでした。
美大などでは、
タペストリーなどが織られていましたが、
テキスタイルアートといわれる、
絵画的な造形が主流でした。
あるいは染織科といわれて、
染めも織りも同時に教えるという形が
ほとんどでした。
一方、
母は普通の織りがしたかったのです。
自分が締める帯や
お洒落なショールを
織りたかったのです。
母が手織を始めたいと
一念発起したのには、
もうひとつ理由がありました。
【研三さんが語る、母・みさをの「さをり」物語】
★★★ その2 ★★★
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