基準がない、
ここが問題だと思ったんです。
考えてみると、
体力なんて、
もちろん分かりきった話。
知力なんて、
試験したら、
すぐパッと出る。
感力の場合は、
何が基準になるんだろうか?
人間はみんなそれぞれ、
生まれた時に、
全部バラバラの感力を
持ってきてる。
だから、
すごくバラエティーに
富んでる。
だから、
集約できないんじゃないか?
というのが
ひとつ目ですね。
それから、
そのあと、
一定の枠にはめるように
教育してきた。
ところが、
教えることによって、
その人が持って生まれてきた
感力を
見えなくしてしまった、
というのが、
ふたつ目ですね。
その上、
ほんとの感力の
出し場がない。
ここにも問題が、
あるんじゃないか?
しかしこれは
大きな問題だ。
えらいことを
考えついたもんだ。
これは私には、
荷が重すぎる。
困った、
困った。
いや、
でも、
黙ってられないぞ!
と、
私一人で
考えてるんです。
だから、
この
「感力」
というものが、
ちゃんと
世にまかり通るように
なってほしいんですよ。
( NHKラジオ
『こころの時代 ~宗教・人生~』
1995年2月4・5日放送より )
★★★ その40 ★★★
人間は、下手に勉強するとどんどん感力が落ちます
俗なインテリになるほどに鈍感になる。理屈で物事を感じることはできない。しかし、人間は嫌でも考える生き物。なので、考えも哲学まで昇華させなければ感覚の域まで達せない。感覚とは魂の自由度である。
投稿情報: グル | 2011年4 月 8日 (金曜日) 00時15分