和泉市は元々白木綿の町であった。もちろんそれらの白木綿は浴衣となる。町中は織物関係一色と言ってよいほどであった。そんな中で高齢の女性達が心の豊かさを求めて、“さをりの森”へお越しになった。我々はその方たちにとって、逆に後入りであると思っていたのだが。
ところが織っている様子をじーっと眺めていると、「まあ、ステキ!」と思うのはみんな若い人たちの作品だった。高齢の人達の作品は織りの既成概念が邪魔をしていたからである。
人はできる限り若い時に、さをりのような、何か考えるものと出会うべきであることを知った。即ち、子供の頃の出会いこそは最も大切であることを知ったのであります。人は脳で動くことは、その日の20数人の人々を見て、一目瞭然だった。これは大事なことであると思った。すべての人が心得ねばならぬことを知ったと同時に、その実体を人々は知る必要があることを知ったのであります。ひとりひとりが自分の目で見て、考える大切さ。漫然となりゆき通りに生きるそのことの過ちを知るべきであることを伝えたいとしきりに思ったのであります。
それを伝えるのは早ければ早いほど良い。人は若ければ若いほどに脳の働きが大きい。老いれば老いるほど衰えるものであると改めて気付かされた。
そこに集った人々誰もが異口同音に言うことは、「すべて見本通り先生のおっしゃるままの、実はまねごとばかりをやってきた」ということだった。それは先天的な自分の感性ではなかったからである。
同時に、その時初めて自分の先天的感性との出会いの大切さを知りたいと思うようになり、そこで人は最も大切な自分を見つけようとする意欲を高めることになる。
そこが出発点となると思うが、それさえも知らず命終わる人々のいかに多かったことか!を思うとき、この“さをりの森”の存在を大切に思うし、まだまだやることがたくさんあると思うのであります。
(2004年12月・346号)
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