人は必ず死ぬ。必ず死は待っている。なのに出来る限り遠ざけておきたいと思うのが人の心の現れである。その遠ざけておきたいと思う心を持ちながら静かに過去を振り返るゆとりなるものを持つ人は幸せの人である。その幸せの人と思いつつ、私は今これを書き得る喜びの中にある。
大阪・中津のクリエーター会議を久しぶりに見学させていただいた。さすがベテランだけあって、皆よく練れている。素晴らしい。私などとても真似できない、丁寧で上手な仕立てである。見ていて惚れ惚れする。
ところが今ひとつ物足りない。何かが足りない。昔と比べると服らしくなり、洗練されているのだが・・・。
もちろんすべてのクリエーターさんがそうではないのだが、どうもスッキリしすぎなのである。人の心をギュッと引き付けるものがない。何かひとつでも良いから「ここを見て!」と人に訴えかける部分、人をビックリさせるポイントが欲しい。
服に仕立てる技術はもちろん大事だが、それよりも大切なのは、織りに現れる感性である。心である。「機械と人間の違いを考えよう」を思い出してもらいたい。そしてその織りに現れた自分をどう活かすか。語弊を恐れず申し上げると、むしろ仕立てはヘタクソな方が良いのかもしれない。織りの良さが際立つから。いや、それ以前にイイモノを織ろうとしてはいけない。「下手は上手の手本」という言葉もある。
その人が先天的に持っている感性を如何にして織りとして表現できたか。織りにその人自身を見つけてもらいたい。「差を織る」のがさをりなのだから。織られた作品には、個性というか、生き様というか、一人ひとりの感性が、情熱が、能力が、歴史が、渾然となって現れ出てくるのである。
捉われずに、こだわらずに、自由に、好きに好きに、楽しいと思うほどに夢中になって織れるようになれれば、それ即ち、自己を表現できるようになったと言えるのではなかろうか。人間の存在は表現であり、表現なくして存在はないのだから。
もっと自分に自信を持ちなさいよと言いたい。たった一度の人生、オンリーワンの自分なのだから。
(2005年3月・349号)
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