振り返ってみると、
私自身、活け花の型を取り去るまで、
どんなに苦労したことか。
頭では解っているのに手がいうことをきかぬ。
すぐ型にはまった角度に挿そうとする。
私は持っていた鋏を放して、
左手をバンバン叩いた。
真っ赤になるまで叩いた。
長い長い努力が続いた。
その苦しみによって血が入れ替わった
と、思っている。
「すべからく教わるときは、
型を教わらずコツを盗み取るべし」
と言いたいのは、
苦しみを知っているからである。
今にして思えば、
私にこの活け花の苦い思いがなかったなら、
織りの新しい道を切り拓こうとはしなかっただろう。
埋み火を抱いて生きてきたからこそ、
再び燃え上がったのものと思う。
また逆に、
織りに手をつけたばかりに、
埋み火が掘り起こされ、
燃え上がったと言える。
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