10年以上前、東北にさをりのタネマキをやったつもりである。
うれしいことにそのタネは見事に成長し、大輪の花を咲かせていた。
その当時残していったのは、たった一つの色紙。
『人生は自分を見つけて事足りる』であった。
今回訪れてみると、その色紙は立派な額に入って飾られていた。
体がドキドキするのを覚えた。
たった1枚の色紙が、私の代わりに、
私の命を受け止めてくれたわけだが、
大仰に言えば、私の命が、
この色紙あるために保ち得たのだと思った。
胸が熱くなった。
よくぞその真意を大切に保ってくださったと。
俳聖・芭蕉の句、『山路来て 何やらゆかし すみれ草』
の「何やらゆかし」の部分をぶっつけて織るのが、
さをりだと言い続けてきた。
その足跡をいつかはじっくりと辿ってみたいと思っていた。
そして念願かなった今回の「奥の細道紀行」。
しかしそれは、“細道”ではなく、“深道”だった。
人も深い。
土地も深い。
そしてさをりも深く根を張っていた。
行く先々で、連日連夜、多くの方から所望され、
差し出される色紙にせっせと何か言葉を書かせていただいた。
自著にもサインをせがまれたが、
サインだけではつまらないので、言葉を書いた。
そのときの雰囲気で、次々と思いつくままにメッセージを書いた。
●「教わるところでもない 教えるところでもない 自分を見つけるところ」
●「自分史は 文字を通せば 角が立つ 織りを通せば やわらかい」
●「出来ぬにはあらず させずに来た子らの 切れば血の出る アートでありし」
●「先天的感性は 自分の宝 自分の師 そして多くの仲間と共に ディスカッションを楽しもう」
芭蕉の感性がそこここに残っている、みちのくの旅だった。
多くの方のお蔭で、さまざまな感動をいただくことができた。
人はこれぞと思うことは実行に移すことを
躊躇すべきでないことをまたしても実感した。
(2005年12月・358号)
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