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織りについても仕立てについても、
言えることは一貫しています。
それは、なにひとつ指示されなければ、
最高に自由なんだと知りつつも、
やはり手がかりがなければ発想は広がらない、
ということです。
東洋の服は、
サリーも、中国服も、着物も、
型はひとつなのに、
それぞれ個性的に装うことができます。
それに対して西欧の服は、
無地が多く、
型はさまざまです。
したがってパターンを着ることになります。
“さをり”服は、
着物に近い感性で織られながらも、
仕立ては西欧の服に近い機能性を求めています。
したがって、
この二つの中間的な発想で、
仕立てを進めるのが良いと思います。
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