やがて
次々と問題点を
指摘し始めました。
すぐに何カ所か改良し、
やり方を変え、
しばらくの内に、
ちゃんと織れるようになってきました。
一番の問題点は、
たて糸の間に挟み込む
機草という紙を
使っていなかったことでした。
母が織物をしたい
と思った動機のひとつに、
日頃締めていたウールの帯を
自分で織ってみたい
というのがありました。
当時としては
珍しくありませんでしたが、
母は普段、
着物を着ていました。
ウールの帯は
軽くて締めやすく、
弛まないので、
とても気に入っていたのです。
それがすり減ってきていましたが、
なかなか良いのが
見つからなかったのです。
【研三さんが語る、母・みさをの「さをり」物語】
★★★ その11 ★★★
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