長男の結婚が近づいた頃、
息子を手離す母親として、
精神的陣痛を予感した。
多少とも楽に手離したい、
無痛で離したいと思ったので、
その準備のために、
短歌を始めることにしたのである。
下手な歌を、
せめて字でカバーしようと思って、
習字もやり出した。
例の通り、
いろはにほ、
と習いはじめて半年ほどたった時、
いつになったらものになるのだろうかと
心配になってきた。
そこで先生に、
「私は習字の先生になるために
習っているのではなく、
自分の歌を書きたいために
習ってるんですけど・・・」
と言ったら、
「とんでもない、
15年も20年もやらないと、
歌なんて書けるものではありませんよ」
とお叱りを受け、
そして、
「我流の字は卑しいですからね。
古典を十分マスターした上でないと、
いい字はかけませんよ」
とやられた。
なるほど、
おっしゃる通りである。
しかし、
私の残りの人生では
間に合わない。
みんな、月に3回、
大阪まで硯と筆をぶらさげて、
わざわざ出かけてきて、
机に向かって一心に稽古をしている。
私は、
つまらなくなった。
練習なら家でもできる。
わざわざここまで来て、
ただ練習するのはもったいない。
一人一人順番に
朱筆を入れてもらうのを待つのも
馬鹿らしい。
そう思ったので、
先生のそばで、
他の人の書が直されるのを
一緒に見ることにした。
私が先生のところまで出て行くと、
ぞろぞろとみんなも前に出て来た。
それからは、みんな、
先生の添削されるのを見ることが主になって、
誰ひとり
机で書かなくなった。
これはすごくいい勉強になった。
けれど、
私はいつも叱られていた。
あなたの字はきたない、
力が入りすぎている、
と。
みんな美しい字を書いているのに、
どうして私だけが・・・。
言われるままに力を抜いて書く。
でも、すぐにまた力が入る。
どうして自分を殺さなきゃならないの、
といつも思っていた。
それとは裏腹に、
先生の直される箇所を見るにつけ、
ちらし書きの面白さ、
空白の扱いなどを
興味深く眺めるようになった。
ほめられるために習っているのではない。
ただ、良く思われようが、
悪く思われようが、
それは問題ではない。
要するに、
その中で自分が何をつかみ得たか、
にかかっている。
私は、自分の疑問を
問題提起の形で提出し、
先生の解答を得ようとした。
先生にはご迷惑だったろうと思うが、
私にとっては。
大変よい勉強をさせてもらったことになる。
生意気にも、
一斉教授を自分の方から
壊していた。
『わたし革命 ~感性を織る~』 城みさを著
(神戸新聞出版センター 1982年刊 ※絶版)より
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