だから「感力」を辞書の中に入れてなかったという責任は誰がとってくれるんですかね。これ、皆さんにお尋ねしますけど。これはどこへ持っていけばいいんでしょうね。「感力」という言葉を辞書に入れてなかった、その抜けたところ、そこに大きな問題があると私は思いたいんです。今の茶髪の学生、ちょっと手を焼く学生が引つくり返ったのも「感力」ですよ。間違いなく「感力」です。その「感力」が根本的に人間を司ってますよ。その「感力」が辞書にないというのは。「感力」に比較の基準がないんです。比較されるもんではないのはわかりますよ。あることを認めることぐらいしたっていいじゃないですか。これを問題にしたいんです。文部省へ言うていいのか、内閣総理大臣に言うていいのか、どう言うていいのかわかりません。しょっちゅう言っていますけど、さあ手のつけるところがないほど大きな問題なんですよ。それで小さいことをゴチャゴチャと、ちょっとしたスキャンダルなんかが大騒ぎされますけど、肝腎なところが抜けている。これ、責任を誰がとるのかわからないんです。いかがでしょう? ABCフォーラムで問題にして下さい。私のきょうの提案「感力がないのはどうしてか。その責任者はどこか」というのを私のABCフォーラムの提案にさせてもらおう。
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