その昔、
須田剋太氏の展覧会を拝見したときの話。
もう20年以上前になる。
それはどれもどれもすごい迫力を持って迫ってきた。
荒々しいタッチは凄みを持っている。
絵ではなく、剋太氏そのものである。
これほどに自己を想いのままに
表現される人があろうかと思われる。
宗教とすれすれの境地。
仏心の悟りが絵になったと私には思えた。
さすがだと感心した。
「私は常に、絵を習いに来る人に、
下手に描けと言い続けている」
とおっしゃる。
良い言葉である。
私も下手に織ろうと思わねば、
と自分に言い聞かせても、
なかなかなりきれなかったものだ。
また剋太氏は、SAORIについて、
「SAORIは何か掴みどころがない。
掴みどころがないから、本物なのだ。
本物は、掴みどころがないものだ」
と評価していただいたことがある。
意を強くしたものだ。
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